今日、twitterを見ていたら、ある方が企画職について呟かれており*、それが個人的にグサッときた指摘でしたので、自省を込めてその呟きをもとに企画について少し考えてみました。
*: どなたのつぶやきが分かってしまうため、一応引用は控えております。
まず、「企画職としての自分の中にあるもの」を以下の3つに分類します。
・知っていること
・経験のあること
・やりこんだこと
これらは習熟度による違いで、「知っていること」は実体験を経て「経験のあること」になり、それを繰り返すことで「やりこんだこと」になります。このうち、「知っていること」、とくに「目新しくてカッコいい事例」というのは、取り扱い要注意なシロモノだったりします。
なぜ取り扱い要注意なのか。それは『「自分のもっているもの」で「やりたいこと」が実現できるか分からない』からです。
海外の広告事例などを見ると、これまでにないクールなプロモーション事例を見かけたります。そういうプロモーションを見ると、「俺もああいうのをやりたい」という感情が沸き起こったりするわけです。
でも、目を凝らして詳しく事例を調べていくと、派手な見かけを支える細部へのこだわりに気づくことがあります(アイデア一発!というのも、それはそれで当然ありますが...)。そのこだわりに目を向けず、「なんとなく」その企画を真似たらどうなるのか。おそらく、「っぽい企画」として批判を受けたり、話題にもならずに無視されたり、、、ともかくロクな結果にはならない気がします。
(無理矢理なつなぎですが...)それは野球に例えれば、未経験者がイチローを真似て彼のバットを使ってもヒットは打てない、ということです。
書籍やサイトを調べれば、イチローのスウィングについての知識は得ることができます。イチローのバットも、お金を出せば手に入るかもしれません。知識と道具は揃うわけです。では、それらを使うことで、習熟したピッチャーからヒットは打つことはできるか。これは言うまでもなく「ノー」です。
そこには習熟したバッターとしての自分が必要です。動体視力、重心移動、バットコントロール...etc が求められます。それらが知識や道具と掛け合わされることでスウィングが完成し、ヒットの可能性が生まれます。
だいぶ野球に話がそれましたが、企画も同じだと考えます。
知識、アイデア、素材を活かすための「やりこみ」、企画職としての習熟度。それは色々な経験をから、「やりこむ」ことで初めて得られるように思います。
「企画」と「企画っぽい何か」。
2つを分けているのは、その習熟度なのかもしれない、と自分は考えたりしています。
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